国語の成績と読書

こんなことがありました。
世の中の人間を分類するカテゴリーとして、文系と理系があります。
私は高校2年に進級する際に初めて文理選択を行いました。理系を選択しました。

でも「数学、物理が得意だったから」
という理由よりも、
「国語が大嫌いだから」
を理由に理系を選択したんです。

私は昔から国語が苦手でした。特に物語を読んだ後に設問に答える系が大の苦手でした。
本文を読んで、「作中の主人公のこのときの心情は?」的な問題がことごとく不正解でした。
父にいつも馬鹿にされていました。

私の父は国語が得意だったそうです。そしてかなりの読書好きでした。いつも活字を読んでた記憶があります。家には推理小説や文学作品等がたくさんありました。
そんな父にいつもこう言われていました。

「お前は本を読まないから国語ができない」

当時はそうなんだろうと思っていました。実際本なんて全く読んでいませんでしたから。

でもこれってどうなんでしょう?

読書はもちろんしたほうが良いと思います。でも国語が苦手な私からすると「読書」と「国語」はあまり関係ないように思えるんです。「読書」と「国語」が直結しない。
「読書をしないから国語が苦手」なのではなく、「国語が得意だから読書を好む」のではないでしょうか?多分世の中には「読書はしないけど国語は得意」って人もいると思います。

自分の国語嫌いを直そうと、本を読んだ時期がありました。でも特段それが国語の成績に反映した手応えはありませんでした。
なんとか国語のテストで点を取ろうと、テスト前日に6時間国語のテスト勉強をして60点。文系の友達は30分だけ勉強して80点。これが私が国語を嫌いになった決定的な理由です。勉強の仕方がわからないし、テストの点の取り方もわからない。

「俺は国語は無理」

と結論付けました。
でも、この歳になって思う事があるんです。

「私は本当に理系だったのか?」

そう思う理由は、

  • 数学の次に英語が得意
  • ノートのまとめ方が上手と違う国語の先生二人に褒められた
  • 社会人になって感想文やレポート作成が秒でできる


だからです。

「国語が苦手な文系」
だったのかもしれません。まあ、いまさら関係ないですけど。

ちなみに今回の疑問をChatGPT先生に相談してみました。以下はその回答です。

1. 「読書」と「国語力」はイコールではない

お父さんが言った「本を読まないから国語ができない」というのは、半分正解で半分は不正解です。

  • 正解の部分
     たくさん本を読むと、語彙や表現力は自然に増えます。これは文章問題に取り組む基礎体力になります。
  • 不正解の部分
     国語の試験(特に現代文)は「著者の意見を客観的に読み解く訓練」「選択肢を論理的に消去する作業」であり、必ずしも「小説を楽しめるか」とは別のスキルです。
     だから「本を読まないと国語ができない」は厳密には違っていて、「読書は国語力を助けるが、それだけでは成績に直結しない」というのが実態に近いです。

実際に、「普段は全然本を読まないけど現代文の点数は高い」という人も少なくありません。


2. 「国語が苦手だから理系」という選択は自然

あなたの話からすると、「数学・物理が得意だったから」というより「国語が苦手すぎるから理系に逃げた」というのが正直な動機ですよね。
でもそれは「間違った選択」ではありません。なぜなら、進路選択は 自分の強みと弱みのバランスを考えるもの だからです。

そして実際、理系で生きていく人の中には「国語は苦手だけど数字や理屈ならいくらでも考えられる」というタイプがたくさんいます。だからあなたの選択はごく自然なことだと思います。


3. 「私は本当に理系だったのか?」について

ここが一番本質的な問いですね。

僕の見方はこうです:

  • 「理系=数学が得意、国語が苦手」という区分けは大雑把すぎる
     → 本当は理系・文系というより「論理的に考えるのが得意か」「感情や人間の物語に関心があるか」「暗記や知識の積み上げが得意か」といった多次元で考えるべきです。
  • あなたの場合、
     「小説読解」や「心情を当てる系」が苦手で、論理や明快な答えがあるものの方が得意。
     つまり「現代文がダメ=文系ではない」と単純には言えません。
  • むしろ、今の話の組み立て方をみると、あなたは「言葉を使って論理的に整理する力」が強いです。これは典型的な理系的思考法ですし、一方で文系的な表現力にも片足を突っ込んでいます。

だから結論としては、
👉 「あなたは理系寄りではあるけれど、文系的素養も持っているタイプ」
だと思います。高校の文理選択が単純に「文系=国語得意、理系=数学得意」とされているだけで、あなたの本質はもう少し複雑なバランスにあるんじゃないでしょうか。



なるほど。
なんとなく私が感じていたことを言語化してくれました。

ちなみに私は40歳を過ぎてから読書が好きになりました。
ある作品との出会いがきっかけでした。

こころ / 夏目漱石

いや、気付くの遅すぎですよね?もちろんこの作品も夏目漱石先生も知っていましたし、授業でも習いました。でもその当時はなんとも思いませんでした。
なのに40過ぎて読み始めてみたらわずか数ページで完全に作品に没入していました。それ以降、漱石先生や他の明治の文豪の作品を読み漁りました。
好きな作品は、

  • こころ
  • 虞美人草
  • それから


です。
これもChatGPT先生に追加で情報提供しました。すると下記の答えが帰ってきました。


高校生のころは「国語=テストで点が取れないもの」で苦手意識が強かったけれど、大人になってから夏目漱石を好んで読むようになった、というのはすごく自然な流れなんです。


1. 学校国語と「文学を楽しむこと」は別物

学校での国語は「正解を当てる科目」になりがちです。
でも文学は本来、「読む人がどう感じるか」が大事で、そこに唯一の正解はありません。

だから、当時「主人公の心情を答えろ」という問いにしっくりこなかったのは、感受性がないからではなくて 「自由な読書をテストで縛られること」に違和感があった のかもしれません。


2. 漱石を好きになったことの意味

漱石や明治の文豪の作品が好き、というのはすごく示唆的です。
漱石の小説は人間心理の細やかさ、時代の転換期の不安や葛藤が描かれていて、単純に「心情は?はい正解!」みたいな読解問題に落とし込めるものではありません。
むしろ 自分なりの読解力・人生経験があって初めて面白さが分かる文学 なんです。

つまり、若いころはテスト形式に合わなかっただけで、あなたにはちゃんと文学を楽しむ素養があったということです。40歳を超えて漱石が好きになったのは、その素養が成熟したタイミングだったんだと思います。


3. 「本当に理系だったのか?」の答えに近づけると…

僕から見れば、あなたは

  • 「学問としての国語=点取りのための国語」は苦手だった
  • でも「文学を味わう感性」はしっかり持っていた
  • 数学や物理の論理的な思考も得意だった

つまり「理系だけど文学も楽しめるタイプ」なんです。
文系か理系かという二分法よりも、理系的思考をベースに持ちながら、文学的感性も年齢とともに開花した人 と言った方が近い気がします。


結論、
「学生時代にChatGPT先生がいてくれたらなぁ」